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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
が――お袖のたよりは皆目聞くこともなく、ふと、会いもすまいかと、そら恃みの偶然もなかった。
それが彼の今では第一の目的だったが、日毎の木賃の払いにも金がいる。かれは、背にお燕を負い、面を破れ編笠にふかく隠して、素謡をうたいながら、恥かしそうに人の軒端に立った。――それもなるべく人目立たぬ浅草、下谷あたりの職人町などをえらんであるいた。
行方さだめぬ道なれば
ゆくへ定めぬ道なれば
こし方も、いづくならまし
もう町は師走に入っていた。年暮の忙しさ。その中を、金春流の素謡の節を、浮世離れた悠長さにながしてゆく。――が、咎める者もなく、また、芳捨の銭も、稀にしか、彼の扇子に乗らなかった。
――しかもこのほど、雪ふりて
仙人に仕へし雪山の薪
※(歌記号、1-3-28)かくこそあらめ
※(歌記号、1-3-28)われも身を――
※(歌記号、1-3-28)捨人のための鉢の木
切るとても、よしや惜しからじと
雪うち払ひて見れば
おもしろや、いかにせん
きょうも“鉢の木”の一節を流しながら、鳥越から浅草見附の方へ出てくると、わらわらっと町中に人の跫音が沸き、かれの側をも馳け抜けた一群れの者に、あぶねえッと、呶鳴られた途端に前へ突きとばされていた。