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どうひょう

道標

宮本 百合子

第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页

青空文庫

「わたしは、そう感じないんですもの」

ベルネの家の、鉄門のくぐりの外まで蜂谷良作は伸子を送って来た。

「じゃ、さようなら、どうもありがとう」

門を入って行こうとする伸子のあとを追って、

「あした、五時、やるんでしょう?」

蜂谷が声をかけた。資本論の講義のことだった。

「あなたは?」

「僕はもちろんつづける」

「じゃ、どうぞ。わたしもいいわ」

門から玄関までの、小砂利をしきつめた爪先のぼりの小道をふんでゆく伸子の足音の中で、蜂谷良作の重い靴音が往来の彼方へ遠ざかった。

九

蜂谷良作は伸子と歩くことを迷惑がらなすぎる――

一日外を歩いて来て、ほこりっぽくなった顔をすっかり洗い、おかっぱの髪にブラッシュをかけ、体も拭き、さっぱりした寝間着姿になって寝床によこたわりながら、伸子は天井を見ていた。室内には電燈が明るくついていて、枕元の小テーブルの上では白い猿の前肢に、伸子が手くびからはずしてかけた腕時計がかがやいている。

「僕は無事でなんかなくていいんだ」

そう云った蜂谷良作のおしつけられた声と、そう云いながら自分のわきを歩いていた蜂谷良作の重い体の感じが、伸子の感覚に印象されている。