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「やまとみんぞく」とはなんぞや
先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
喜田 貞吉
喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页
しかるにもかかわらず彼は道鏡貶謫と同時に、多※(「ころもへん+(勢-力)」、第3水準1-91-86)島守に栄転し、また道鏡の死と同時に、さらに日向守に栄転したのであった。その後彼は間もなく死去したとみえて、その名は再び歴史に現れてはいないが、ともかく道鏡失脚後の新政府では、彼は大いに重んぜられたものであった。しかるにこれに反して清麻呂・法均の姉弟は、流罪だけは免ぜられたが、その当時は官位はもとの地位までも復するには至らなかった。清麻呂の後の栄達は、彼が長生して摂津職大夫となり、中宮大夫となって以来の事である。けだし道鏡排斥の事件は、百川、阿曾麻呂、清麻呂等の間に仕組まれた、一つの謀計の現われではなかろうかとの疑いが無いでもない。
(註二) 続日本紀、日本後紀など、勅撰の国史以外の道鏡の事を書いた古い記録には、大抵彼を天智天皇の皇子施基親王の子としているのである。さればこれを河内の人弓削氏と云い、先祖に大臣があったという国史の記事とは矛盾しているが如く見ゆるも、葛城王が母の姓を継いで橘諸兄となり、山背王が母の家を承けて藤原弟貞となった例を以てこれを観れば、その矛盾は容易に解決せらるべきであろう。