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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

ふと、かれの心は、べつな心のなかで、シュクシュク泣き出していた。ひとつの人間の中に、二つの心があったのである。

が――その一つの方の心を見出すことは、かれにとって、恐かった。致命的である。生きていられなくなる。

狂気したように、市十郎は、どどどどッと階下へ駈け降りて行った。そして、台所へ突ッ立ち、ただならぬ眼つきを動かした。一升徳利を見つけた。徳利の口をつかんで顔の上へ逆さに持って行った。……眼をつむり、喉を太め、グビ、グビ、グビ――と息もつかない。

「いねえのか。……お島」

がらりと、そこの腰障子を開けた者がある。

市十郎は、軽くなった貧乏徳利を、ゆっくり顔から離した。

見ると、赤螺三平だ。後ろにも、同じ恰好なのが、四人ほど首をのばしている。

「やッ。てめえは、市十郎だな」

「……市、十、郎なら……?」

市十郎は、虹のような酒気を、ふーッと吐き、またやや苦しげに、たじたじと、踵へ力を入れた。

「そうだ。市十郎だ。……だ、だッたら、どうするッてんだ」

「出ろっ」

「ど、どこへ」

「きょうは勝負をつけてやると、お島へもいってある。聞いたろうが」

「知らぬ」

「ええい、四の五を聞きに来たんじゃねえ。