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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
見ると、その手に幾枚かの小判がのっている。そして、血の気のない唇は、
(これを上げるから助けて……)と、声なくいっているようだった。
市十郎の頭の中には、ぼやっと、お袖とわが子の姿が、夢みるように、そのまま映っていた。
お袖とわが子を、ふと思い出したことは――彼自身がハッと我れの一部を取り戻したことでもあった。
彼は、自分を、オヤ? ……と怪しんだ。
――自分は今、どこへ来ていたのか? ――と、いぶかッた。そして、何を、行為しようとしているのかとも、瞬間に考えた。
まッ暗な冥府の底に落ちて、もがき嘆いているような亡霊が自分のように感じられた。彼は、両手で顔を蔽った。――眼のまえの女と乳呑み児を、見るにたえないでそうしたのか、こみあげてくる泣きたさを抑えたのか、彼自身にもわからなかった。
「あっ、金ッ。金じゃねえか。……ええばかめ、なぜ早くその金を、こッちへ取らねえか」
うしろへ来て、小判を見た大亀は、いきなり市十郎を突きのけて、餌にかかる野獣のように飛びついた。
女は、咄嗟に、小判を投げだして、子を抱きしめ、
「助けてーッ」と、俯ッ伏した。
市十郎は、その上へよろめき倒れ、大亀は、散らばッた小判を、無我夢中で拾いかけた。