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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
「あいや、その鉄鉢では、召上りにくい。御遠慮なく、こちらの器でお上がりなされい」
と、僧侶のいんぎんな礼を見たので、つい彼も、武家ことばが出て、べつな器へ、粥を入れて、さし出した。
――すると、その若僧は、手も出さずに、何か、凝然として、かすかな顫えを全身に走らせたと思うと、ふいに、網代笠の内からさけんだ。
「弟ッ。これっ、市十郎」
「げっ?」
「兄の主殿だ。きょうは、逃がさぬぞ」
あッ――と、市十郎は、粥の茶碗を地へ落した。そして、つかまれた手頸の手を、必死にもぎ離そうとした。逃げるつもりどころか、会いたさに、市十郎こそ、兄の屋敷附近をうろついたり、探し求めていた程なのに――咄嗟の心理は、彼をして無意識に、兄の手を、突き退けて、だッと逃げる姿勢をとらせたのだった。
「お、おのれ」
主殿は、よろめいた。片脚の怪我が癒えていない。
もし、そのままだったら、心ならずも、市十郎は姿を消し、主殿もその脚では、追いきれなかったろうが、幸いにも、途端に、同苦坊の腕が、ぱッと、市十郎の襟がみをつかみ戻していた。
「御僧は、この者の、お兄上か」
「左様でござりまする」
「これ、市十郎とやら。