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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
禍いを捨てて行かれい」
「いや。時の奉行たるおん身すら、職のためには、身にかかる禍いを避けようとはなさらない。医は仁術とか。愚老も、仁愛のためには、身の禍いも、厭いますまい」
暗い廊下を、楽翁の足音が、遠くなって行った。――越前守は、残された燈火のまえに、さし俯向いていた面を、きっと上げると、
「たれかおらぬか。勘蔵っ、左右太。……はよう来いっ」
与力部屋の方で、はっという返辞がした。けれど何か、その三名で、押し問答でもしているらしい。そんな声がしながらなかなか誰も来ないのである。
越前守は、やや甲高く、また、呼んだ。
「与力部屋にはたれもおらんのか。……義平太でもよいっ。すぐ来い」
「はっ、ただ今っ」
ばたばたと、窓の外に、足音がとまった。そこから、ひざまずいて、
「――御用は?」
「お。義平太か」
「義平太にございます」
「…………」
越前守のことばは、容易に、かれの口から出なかった。が、押し出すような語気で。
「うむ。そちでもよい。今、医者の市川楽翁が立ち帰って行ったが、見たか」
「はっ。承知しております」
「楽翁を追いかけて、いま越前に示した印籠を、受け取って来い。