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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

そんなに」

若すぎる母は、身もだえした。からだじゅうの異様なうずきが、そのあとを、うッとりさせて、官能のなやましさと、こころに潜む男心への恨みとが、眸に、ひとつ火となっていた。そして眼の下の――大岡家の大屋根を、じっと見つめているのである。

「お袖さん。……たんと、待ったかい」

ひょっこり、そこへ味噌久がのぼって来た。きょうは、本屋の手代となりすましていた。蔦屋と染め抜いた書の包みを、背からおろして、お袖のそばに坐りこんだ。

「見附辺から、くさい奴が、あとを尾けてくる気がしたので、道を廻って、遅くなったのさ。やれやれ、逢い曳きのおとりもちも、楽じゃあねえて」

「あんまり待ったので、もう帰ろうかしらと、おもってたところさ」

「ウソ。嘘いってらあ、お袖さんは。――市の字と会わねえうちに、帰れといったって、帰るもんかな」

「そんなに、わたしの気もちが分ってるなら、さあ、あそこへ行って、市十郎さまを、はやく、呼び出して来ておくれなね」

「まア、そうセカセカいわなくても……」

と、久助は、煙草のけむりを、ぷウと、輪にして、彼方の大屋根を横目に見ながら、

「市の字を、連れて来るッたって、お袖さんのいうように、そう易々とゆくものじゃアねえ。