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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

では年暮のうちに、何かと、支度しておいて」

と、日数をかぞえたり、若夫婦のために、奥の書斎と古い一棟を、大工でも入れて、すこし手入れもせねばなどといいはじめた。

夕食のしらせに、お縫も来て、むつまじい膳の一方に加わった。けれど、お縫には、食事のたびに、近ごろ、物足らないおもいがあった。

十日ほど前から、市十郎が、朝夕とも、食事を、奥の書斎に運ばせて、家族のなかに、顔を見せないことだった。

「どうなすッたんでしょう、市十郎さまは。……ねえ、お母あ様。呼んで来ましょうか。たまには、御一緒におあがりなさいッて」

「いや。気ままにさせておけ」

忠右衛門は、顔を振った。

「夜も昼も、読書に没頭しておる様子。多少、気鬱もあろうが、若い頃には、わしにも覚えがある。抛ッとけ、抛ッとけ」

「でもお父さま。たまに私がのぞいても、とても恐い顔なさるんでございますの」

「よいではないか。勉強に熱しておると、女など、うるさいのだ」

そうかしら? ――かの女には、もっと不審もあったが、告げ口めいた事を挙げて、ほんとに父を怒らせてはならない、とも惧れた。

その不審で、いまも胸につかえている一つは、きょうの昼、薬研坂で声をかけられた――蔦屋という書肆の手代。