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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
嫌われ葵
そのとき美少年の明眸も、久助の姿へそそがれた。十八、九歳の豊麗な容貌が、頭巾のうちで微笑していた。何か、おかしくてならないようである。そして、いま手にもどった印籠を、
「これか。……子どもがこれを欲しがるか」
と、久助の膝へむかって、ぽんと投げ与え、翻――と人浪のうちへ隠れ去ってしまった。
嫌われ葵
ゆうべは、寺の縁へ寝た。こん夜はお竹蔵の竹置場に、むしろを被って、夜霜をしのぐ父と子だった。
久助は夕方からあの印籠を売りにゆき、人目もないので市十郎は、抱いているお燕の顔に頬ずりした。どこかに、お袖の肌を思わせてくれる。
「お母あちゃまは、どうしたろうな。おまえも母をさがして泣くか。おお、よしよし。飢もじいか。いまに久助が、何か買って来よう。泣くな。泣くな」
折々、立って歩いたり、小声で子守唄をうたってやったり……そしてそのわが子守唄に、若い父は、感傷になって、独り涙をたれていた。
なんのために屋敷を出てしまったか。あやしい自分の気もちを今さら疑わずにはいられない。
従兄の誘惑に負けたのか。家つきのお縫とつれ添う将来が厭わしいのか。屋敷生活や武家階級のいつわりと空虚にいたたまれない気持からか。