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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
「おい、河合君」
と、Sはあたりに遠慮しながら、私の耳に口をつけるようにしました。
「その、君が連れて歩いている素晴らしい美人と云うのは何者かね? 一遍僕等にも紹介し給え」
「いや紹介するような女じゃないよ」
「だって、帝劇の女優だって云う話じゃないか。………え、そうじゃないのか、活動の女優だと云う噂もあるし、混血児だと云う説もあるんだが、その女の巣を云い給え。云わなけりゃ帰さんよ」
私が明かに不愉快な顔をして、口を吃らしているのも気が付かず、Sは夢中で膝を乗り出して、ムキになって尋ねるのでした。
「え、君、その女はダンスでなけりゃあ呼べないのか?」
私はもう少しで「馬鹿ッ」と云ったかも知れませんでした。まだ会社では恐らく誰も気がつくまいと思っていたのに、豈図らんや嗅ぎつけていたばかりでなく、道楽者の名を博しているSの口吻から察すると、奴等は私たちを夫婦であるとは信じないで、ナオミを何処へでも呼べる種類の女のように考えているのです。
「馬鹿ッ、人の細君を掴まえて『呼べるか』とは何だ! 失敬な事を云い給うな」
この堪え難い侮辱に対して、私は当然、血相を変えてこう怒鳴りつけるところでした。