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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

「ふん、ふん、そいつあ頼もしいや!」

と、Sはすっかり恐悦しながら云うのでした。

「君の親戚の学生と云うのも、その女と何かあったのかい?」

「いや、そりゃどうだか知らないが、友達のうちに二三人はあるそうだよ」

「止せ、止せ、河合が心配するから。―――ほら、ほら、あんな顔してるぜ」

Tがそう云うと、みんな一度に私を見上げて笑いました。

「なあに、ちっとぐらい心配させたって構わんさ。われわれに内証でそんな美人を専有しようとするなんて心がけが怪しからんよ」

「あはははは、どうだ河合君、君子もたまにはイキな心配をするのもよかろう?」

「あはははは」

もはや私は、怒るどころではありませんでした。誰が何と云ったのかまるで聞えませんでした。ただどっと云う笑い声が、両方の耳にがんがん響いただけでした。咄嗟の私の当惑は、どうしてこの場を切り抜けたらいいか、泣いたらいいのか、笑ったらいいのか、―――が、うっかり何か云ったりすると、尚更嘲弄されやしないかと云うことでした。

とにかく私は、何が何やら上の空で喫煙室を飛び出しました。そしてぬかるみの往来へ立って冷めたい雨に打たれるまでは、足が大地に着きませんでした。