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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

海水着だの、タオルだの、浴衣だのが、壁や、襖や、床の間や、そこらじゅうに引っかけてあり、茶器や、灰皿や、座布団などが出しッ放しになっている座敷の様子は、いつもの通り乱雑で、取り散らかしてはありましたけれど、何か、しーんとした人気のなさ、―――それは決して、つい今しがた留守になったのではない静かさがそこにあるのを、私は恋人に特有な感覚を以て感じました。

「何処かへ行ったのだ、………恐らく二三時間も前から、………」

それでも私は、便所を覗いたり、湯殿を調べたり、なお念のために勝手口へ降りて、流しもとの電燈をつけて見ました。すると私の眼に触れたのは、誰かが盛んに喰い荒らし、飲み荒らして行ったらしい正宗の一升壜と、西洋料理の残骸でした。そうだ、そう云えばあの灰皿にも煙草の吸殻が沢山あった。あの同勢が押しかけて来たのに違いないのだ。………

「おかみさん、ナオミが居ないようですが、何処かへ出て行きましたか?」

私は母屋へ駆けて行って、植惣のかみさんに尋ねました。

「ああ、お嬢さんでいらっしゃいますか。―――」

かみさんはナオミのことを「お嬢さん」と云うのでした。夫婦ではあっても、世間に対しては単なる同棲者、若しくは許婚と云う風に取って貰いたいので、そう呼ばれなければナオミは機嫌が悪かったのです。