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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
―――そう云えば勝手口の方の障子も、今しがた誰かがそこから出て行ったらしく、矢張明け放しになっていました。と、私の注意は、勝手口から地面へさしている仄かな明りを伝わって、つい二三間先のところに裏門のあるのを発見しました。門は扉がついていない古い二本の木の柱で、柱と柱の間から、由比ヶ浜に砕ける波が闇にカッキリと白い線になって見え、強い海の香が襲って来ました。
「きっと此処から出て行ったんだな」
そして私が裏門から海岸へ出ると殆ど同時に、疑うべくもないナオミの声がすぐと近所で聞えました。それが今まで聞えなかったのは、大方風の加減か何かだったのでしょう。―――
「ちょっと! 靴ン中へ砂が這入っちゃって、歩けやしないよ。誰かこの砂を取ってくんない?………まアちゃん、あんた靴を脱がしてよ!」
「いやだよ、己あ。己あお前の奴隷じゃあねえよ」
「そんなことを云うと、もう可愛がってやらないわよ。………じゃあ浜さんは親切だわね、………ありがと、ありがと、浜さんに限るわ、あたし浜さんが一番好きさ」
「畜生! 人が好いと思って馬鹿にするない」
「あ、あッはははは! いやよ浜さん、そんなに足の裏を擽っちゃ!」