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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
―――」
「あの時の君の話だと、ナオミを自由にしているものは熊谷だと云う―――」
「ええ、そうでした、僕はあの時そう云いました。尤もそれは嘘じゃないので、ナオミさんと熊谷とはガサツな所が性に合ったのか、一番仲よくしていました。だから誰よりも熊谷が巨魁だ。悪いことはみんな彼奴が教えるんだと思ったので、ああ云う風に云ったのですが、まさかそれ以上は、あなたに云えなかったんですよ。まだあの時は、あなたがナオミさんを捨てないように、そして善良な方面へ導いておやりになるようにと、祈っていたのですから」
「それが導くどころじゃない、却って此方が引き摺られて行っちまったんだから、―――」
「ナオミさんに懸った日には、どんな男でもそうなりまさあ」
「あの女には不思議な魔力があるんですな」
「確かにあれは魔力ですなあ! 僕もそれを感じたから、もうあの人には近寄るべからず、近寄ったらば、此方が危いと悟ったんです。―――」
ナオミ、ナオミ、―――互の間にその名が幾度繰り返されたか知れませんでした。二人はその名を酒の肴にして飲みました。その滑かな発音を、牛肉よりも一層旨い食物のように、舌で味わい、唾液で舐り、そして唇に上せました。