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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

クレオパトラがどんなに悧巧な女だったとしたところでまさかシーザーやアントニーより智慧があったとは考えられない。たとい英雄でなくっても、その女に真心があるか、彼女の言葉が嘘かほんとかぐらいなことは、用心すれば洞察出来る筈である。にも拘わらず、現に自分の身を亡ぼすのが分っていながら欺されてしまうと云うのは、余りと云えば腑甲斐ないことだ、事実その通りだったとすると、英雄なんて何もそれほど偉い者ではないかも知れない、私はひそかにそう思って、マーク・アントニーが「古今無類の物笑いの種」であり、「このくらい歴史の上に馬鹿を曝した人間はない」と云う教師の批評を、そのまま肯定したものでした。

私は今でもあの時の教師の言葉を胸に浮かべ、みんなと一緒にゲラゲラ笑った自分の姿を想い出すことがあるのです。そして想い出す度毎に、もう今日では笑う資格がないことをつくづくと感じます。なぜなら私は、どういう訳で羅馬の英雄が馬鹿になったか、アントニーとも云われる者が何故たわいなく妖婦の手管に巻き込まれてしまったか、その心持が現在となってはハッキリ頷けるばかりでなく、それに対して同情をさえ禁じ得ないくらいですから。