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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
夫人は片手に鞭を持って、こころもち気むずかしそうに眉根を寄せながら、練習している人々の足元を睨んで、「ワン、トゥウ、トゥリー」―――露西亜人の英語ですから“three”を“tree”と発音するのです。―――と静かな、しかし命令的な態度を以て繰り返しています。それに従って、練習生が列を作って、覚束ないステップを蹈みつつ、往ったり来たりしているところは、女の士官が兵隊を訓練しているようで、いつか浅草の金竜館で見たことのある「女軍出征」を想い出しました。練習生のうちの三人は、とにかく学生ではないらしい背広服を着た若い男で、あとの二人は女学校を出たばかりの、何処かの令嬢でありましょう、質素ななりをして、袴を穿いて男と一緒に一生懸命に稽古しているのが、いかにも真面目なお嬢さんらしくて悪い感じはしませんでした。夫人は一人でも足を間違えた者があると、忽ち
「No!」
と、鋭く叱して、傍へやって来て歩いて見せる。覚えが悪くて余りたびたび間違えると、
「No good!」
と叫びながら、鞭でぴしりッと床を叩いたり、男女の容赦なくその人の足を打ったりします。
「教え方が実に熱心でいらっしゃいますのね、あれでなければいけませんわ」