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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
「賃銀値上げのかけ合いのようなことは、お客の前へもち出すまでもないというわけか」
「でも、みんな真剣な顔つきでしたわ」
須美子が、どこかで見た真剣な男女の顔に感じた自分としての同感をあらわした。
「そりゃ、真剣だよ。僕はただ、いまのところ東部が中心だというだけだよ――いざとなれば、シャンゼリゼーへだってどこへだって出かけるだろうさ」
「そりゃそうでしょう。パリのペーヴメントはあのひとたちのもんだもの」
伸子はそう云ったがその話とは別に、若い恭介と須美子のやりとりのなかに、ぼんやりと流れる生活感情の擦れあいを感じとって伸子は、しばらくだまった。
「ほんとのパリがわかるのは、むずかしいことなのねえ」
伸子は、パリへ来てから、ちょいちょい心を掠める一つの疑問をもちはじめていた。フランスの貨幣には小さな十サンティームの銭にまで、自由、平等、博愛という三つの人類的な標語が鋳出されていた。フランスの人々は大革命このかたこの標語をかかげている。この重大で力のこもった三つの標語も一九二九年のパリの人々の生活のなかではいつの間にか本源的な発酵力をぬかれて、みんながそれを知っていてそれを誇りにしている一つのフランス的なものとして様式化されてしまっているのではなかろうか、とさえ思われることがあった。