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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
伸子たちの間で話題になったことがあった。マリア・グレゴーリエヴナは、頬に当てた左手の肱をもう一方の手で支えながら、ノヴァミルスキーのいうことをきいていたが、
「わたしどものところの革命も、随分いろいろ批評をうけます。でも、批評する人たちに、それまでの私たちがどんなに生きていたかということが、ちょっとでも分りさえしたら!」
と云った。
「革命は、たしかに少くない犠牲を出しました。けれど、その幾千倍かの人に、生を与えたんです。それはもっとたしかな事実なんです」
革命前、マリア・グレゴーリエヴナは将校の妻であった。
「何という生活だったでしょう。あのころわたしは、死ぬことしか考えませんでした。でも、小さい男の子と女の子を、誰が育ててくれるでしょう? そのうち十月が来ました。そして、わたしと子供たちの人生が新しくはじまったんです」
子供たちの望みで、男の子はマリア・グレゴーリエヴナについてここで暮すようになり、女の子は、父親について別れた。
このマリア・グレゴーリエヴナのところへ素子も通いはじめた。素子は、プーシュキンの「オニェーギン」をよみはじめた。
マリア・グレゴーリエヴナの稽古から、真直伸子がホテルへかえって来ることはほとんどなかった。