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さこく

鎖国

和辻 哲郎

日本の悲劇

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 443,306 字 · 875 页

青空文庫

この形勢を見て義昭は和睦に応ずる態度をとるに至った。五月八日(天正元年四月七日)勅使が義昭と信長とを訪れ、信長は即日京都を去ってその日は近江守山に陣取った。

この時の和睦が一時的なものに過ぎなかったことは、事件の二十日後に書かれたフロイスの書簡にも明記せられている。義昭は浅井朝倉や三好三党の救援をあてにして一時免れの策を取ったのである。信長もそれを知っていた。だから彼は義昭の再挙を予想して、琵琶湖に百挺櫓の大船十数艘を急造させ、京都急襲の用に備えた。

ところでこれらの信長の進退を東から牽制していた武田信玄は、三河野田の陣中で病み、信濃まで引き返して五月十三日に歿した。それは直ぐには発表されなかったが、しかし東からの強い圧迫はここで止んだ。この信玄の死が恐らく信長にとっては実質上の運命の転回点であったであろう。従って形の上では、信長のこの時の九日間の在京が、彼の地位を決定したのである。この時信長は、「その心が寛大であって思慮があり、時に臨んでよくおのれの情を撓めることが出来る」という印象を京都市民に与えたという(フロイス、一五七三年五月二十七日都発書簡)。