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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
つい、うけて、また飲んで、市十郎は雪の日を酔いつぶれた。いやその酔を強烈に強いるものは、お島の白い手ではなく、彼自身の心のうちにあるものだった。自分を怨むお袖を怨みかえす理由は毫も見つからない。帰するところ、自分への怨みでしかないのだ。それはかれの心態を、一挙に、自暴自棄の淵へ抛りこんだ。
人間の正味には、もともと賢人も愚人もない。善人と悪人の差もない。が、それは動物と原始の社会へ人間をひきもどしての話であるのはいうまでもない。そして人間はまだその当時の尻尾の痕跡や牙の名残を持っているように、心のうちにもそれを持っている。牙や尻尾のあとは退化したままでも、心のうちのそれは、何かのはずみに、解放されると、たちまち、原始の野へ放たれたごとく、その性能を働かし始める。
自暴自棄は、その状態である。他からでなく、自ら、原始の人間に近いものへ、自分で自分を追いもどすことだ。ここへ自分を蹴陥すことが、誰にもいちばんなし易い、やけくその境地であり、凡愚の立命でもあった。
市十郎は、よく飲んだ。お島もつよい。しかし、そのお島より飲んだ。そしてふたりとも、屋根に重たく雪の降り積んだ二階の小座敷に酔い臥したまま、灯ともし頃まで、降りても来なかった。