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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

お島が寝ざめにふかす煙草のけむりが顔に来て、何か、吐きたいような疼きを、胃へ手をやって、抑えていると、

「おやっ? 何だろう」

ふいに、お島が煙管を放り出した。さすがに、悪の世界に住む女だけに、敏捷な身ごなしの要意が、窓へ立ってゆく間にも見え、長襦袢の上へ、小袖を着、帯を締め締め、そこを開けた。

朝の陽と雪との反射が、部屋いッぱい映しこんだ。市十郎もハネ起きた。近所の屋根の下から、ただならない人声がわき起っている。そして、八丁堀の往来へ向って、わらわらと駈けてゆく跫音がつづく。時々、廂の雪が解け落ちる地ひびきの中に、後から後から絶えないのである。

ここの二階のすぐ下でも、駈けてゆく者、佇んでいる者、さまざまらしいが、その人々の口から口へ、異様な口吻で、語られていた。

「――まだですか。まだ、通りませんか」

「なんです? 何ですえ、いったい」

「赤穂の浪人たちが、今にここを通るとさ。それ、去年の春、松の廊下で大騒動を起した、浅野内匠頭様の御家来たちだよ」

「あっ。やったんですか。……ヘエ。じゃあ、うわさは、噂じゃなかったんですね」

「四十何人とかですとさ。ええ、松坂町でしょう、吉良上野様のおやしきはね。