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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

「はははは……。おい、顔を拭けよ」

「アハハハ。どうもいかんな、ちか頃の、南は」

「みんな泣き虫になって」

「気を取り直そう。……おい、左右太、鼻紙があったらくれよ」

「鼻紙か」

三人はそこで、何とはなく、意味もなく、笑い合ってしまった。

そして、小林勘蔵は、左右太から鼻紙をもらっていたが、何か、ちらと、眼くばせをした。左右太は、うなずいて、石焼豆腐の方を、振り向いた。勘蔵は、義平太にも、紙を分けてやり、顔を拭かせて、門内へ連れて入った。

越前守は、まだ同じ部屋の、同じ燭の前に、寂然と、独坐していた。

まるで、肖像画のように、かみしも、袴のヒダも、さっきのまま、くずれもしていない。

そして、瞑目していた。眉宇、顔いろは、すっかり和やかな彼にかえっている。

かれは常に、かれ自身の精神を平調に癒やす医師であった。肉体の医師は外から迎え得られるが、心の医師は、自分が名医となるしかない。

「勘蔵に、義平太でございます。行って参りました」

「お……。御苦労。印籠は、受け取って来たか」

「いえ。もどりませぬ」

「では、楽翁を、召捕って来たか」

「急ぎましたが、とんと、帰りを見失いました」