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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

越前守を恨むなら、もっとほかに、方法もあろうじゃねえか。――たとえば、男道楽よ。自堕落の仕放題をやって、こうなったのも、あの男のせいだといいふらしてやった方が、おもしろくもあり、おめえにとっても、身の為だろう」

「身の為……」と、お袖はほほ笑んで、「身なぞはとうに捨てている私ですよ」

「ばかをいいねえ。御用を食ったら、それッきりだぞ」

「ああ、いつでもと、待っているのさ。白洲や獄門が恐くて、こんな真似ができるものかね」

「よせ。ばか」

近づいて、不伝は、お袖の肩を抱いた。そして、もし夫婦になる気なら、世帯道具を売り払って、暫く、旅暮らしに出ようじゃないか、金はあるぞと、囁いた。

お袖の手が、不意に、不伝の胸いたを突きとばした。不伝は、うしろの竹束に辷って、

「やっ、何をしやがる。恩を仇で、返すつもりか」

と、わめいた。起ち上がろうとする弱腰を、お袖はまた突き飛ばした。うしろはすぐ河だった。あっという不伝の声と水音が、河の下から水玉になって刎ね上がった。

お袖は一とき、ひた走りに駈けたが、すぐもとの歩調にもどっていた。――これでもう練塀町の不伝の家にも帰れないと思い、何かしら、自分の歩いている突き当りが、もう近づいている気がした。