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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
07 第七分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,903 字 · 400 页
身は濡らしても、火縄を濡らした兵はなかった。
膝ぶしまで浸けた清冽は氷よりも冷たいものだった。そのあいだにも将士は思い思いの考えを抱いたに違いない。――徒渉にかかる前に物頭と老臣から云い渡された戦闘に入ることばについて。
(さては、徳川殿を討つのだ)
こう判断していた兵がまだ大部分であったろう。漠として、
(いま討つべき者としたら、徳川家康を措いては、手近にはいない)
と、思いつつまた一方で、
(それにしては、今日よりわが殿が、天下様に成られるとはどういう意味か)
を頻りに考えた。
そこまで思い及びながら、まだなお念頭に、信長の名は敵として思い出されて来ないほど、彼ら明智一家の将士は道義人倫に一筋な者どもだった。迂遠といえばいえるが、その道義に固められて来た頑固な一筋気は、物頭格より組頭、組頭よりは小頭、小頭よりは足軽草履取といったような末の者ほどそうであった。これを無智単純と見、或いは慾に釣られての附随とし切るのは、この場合、余りにも傷ましい数である。
「おお、明けてきた」
「はや夜明けだ」
ちょうど如意ヶ嶽と東山のあいだあたりに当るだろう。一朶の雲の縁がキラと真っ赤に映えた。