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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
気がしたことがありました。
そう云う折の彼女の服装は、多分姉さんのお譲りらしい古ぼけた銘仙の衣類を着て、めりんす友禅の帯をしめて、髪も日本風の桃割れに結い、うすくお白粉を塗っていました。そしていつでも、継ぎはあたっていましたけれど、小さな足にピッチリと篏まった、恰好のいい白足袋を穿いていました。どういう訳で休みの日だけ日本髪にするのかと聞いて見ても「内でそうしろと云うもんだから」と、彼女は相変らず委しい説明はしませんでした。
「今夜はおそくなったから、家の前まで送って上げよう」
私は再々、そう云ったこともありましたが、
「いいわ、直き近所だから独りで帰れるわ」
と云って、花屋敷の角まで来ると、きっとナオミは「左様なら」と云い捨てながら、千束町の横丁の方へバタバタ駆け込んでしまうのでした。
そうです、―――あの頃のことを余りくどくど記す必要はありませんが、一度私は、やや打ち解けて、彼女とゆっくり話をした折がありましたっけ。
それは何でもしとしとと春雨の降る、生暖い四月の末の宵だったでしょう。ちょうどその晩はカフエエが暇で、大そう静かだったので、私は長いことテーブルに構えて、ちびちび酒を飲んでいました。