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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
とか「譲治さんを親とも思い夫とも思っています」とか、極まり文句を云いながら、さめざめと涙を流したり、又その涙を私に拭かせたり、矢継ぎ早に接吻の雨を降らせたりするのでした。
が、そんなに長く話をしながら浜田と熊谷の名前だけは、故意にか、偶然にか、不思議に彼女は云いませんでした。私も実はこの二つの名を云って、彼女の顔に現れる反応を見たいと思っていたのに、とうとう云いそびれてしまいました。勿論私は彼女の言葉を一から十まで信じた訳ではありませんが、しかし疑えばどんな事でも疑えますし、強いて過ぎ去った事までも詮議立てする必要はない、これから先を注意して監督すればいいのだと、………いや、始めはもっと強硬に出るつもりでいたにも拘わらず、次第にそう云う曖昧な態度にさせられました。そして涙と接吻の中から、すすり泣きの音に交って囁かれる声を聞いていると、嘘ではないかと二の足を蹈みながら、やっぱりそれが本当のように思われて来るのでした。
こんな事があってから後、私はそれとなくナオミの様子に気をつけましたが、彼女は少しずつ、あまり不自然でない程度に、在来の態度を改めつつあるようでした。