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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
「それは己も悪かったよ、けれども己も以前の事があるもんだから、神経過敏になっているんだ。それを察してくれないじゃ困るよ」
「じゃ、一体どうしたらいいのよ? 以前の事はもう云わないッて約束じゃないの」
「己の神経がほんとうに安まるように、お前が心から打ち解けてくれ、己を愛してくれたらいいんだ」
「でもそうするにはあなたの方で信じてくれなけりゃあ、………」
「ああ信じるよ、もうこれからきっと信じるよ」
私はここで、男と云うものの浅ましさを白状しなければなりませんが、昼間はとにかく、夜の場合になって来ると私はいつも彼女に負けました。私が負けたと云うよりは、私の中にある獣性が彼女に征服されました。事実を云えば私は彼女をまだまだ信じる気にはなれない、にも拘わらず私の獣性は盲目的に彼女に降伏することを強い、総べてを捨てて妥協するようにさせてしまいます。つまりナオミは私に取って、最早や貴い宝でもなく、有難い偶像でもなくなった代り、一箇の娼婦となった訳です。そこには恋人としての清さも、夫婦としての情愛もない。そうそんなものは昔の夢と消えてしまった! それならどうしてこんな不貞な、汚れた女に未練を残しているのかと云うと、全く彼女の肉体の魅力、ただそれだけに引き摺られつつあったのです。