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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
仕方がないから寝室へ上って布団を被ってしまいますが、そのまますやすや寝られることはめったになく、二時間も三時間も眼が冴えています。寝室と云うのは、例の屋根裏の部屋のことで、そこには今でも彼女の荷物が置いてあり、過去五年間の不秩序、放埓、荒色の匂が、壁にも柱にも滲み着いています。その匂とはつまり彼女の肌の臭で、不精な彼女は汚れ物などを洗濯もせずに、丸めて突っ込んで置くものですから、それが今では風通しの悪い室内に籠ってしまっているのです。私はこれではたまらないと思って、後にはアトリエのソオファに寝ましたが、そこでも容易に寝つかれないことは同じでした。
母が死んでから三週間過ぎて、その年の十二月に這入ってから、私は遂に辞職の決心を固めました。そして会社の都合上、今年一杯で罷めると云うことに極まりました。尤もこれは誰にも予め相談をせず、独りで運んでしまったので、国の方ではまだ知らないでいたのですが、そうなって見ると後一と月の辛抱ですから、私は少し落ち着きました。いくらか心にも余裕が出来、暇な時には読書するとか、散歩するとかしましたけれど、しかしそれでも危険区域には、決して近寄りませんでした。