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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
「あたし、今だから云うけれど、合鍵を沢山拵えて置いたの、だから一つぐらい取られたって困りゃしないわ」
「けれども己の方が困るよ、そう度々やって来られちゃ」
「大丈夫よ、荷物さえすっかり運んでしまえば、来いと云ったって来やしないわよ」
そして彼女は、踵でクルリと身を飜して、トン、トン、トンと階段を昇って、屋根裏の部屋へ駈け込みました。………
………それから一体、何分ぐらい立ったでしょうか? 私がアトリエのソオファに靠れて、彼女が二階から降りて来るのをぼんやり待っていた間、………それは五分とは立たない程の間だったか、或は半時間、一時間ぐらいもそうしていたのか?………私にはどうもこの間の「時の長さ」と云うものがハッキリしません。私の胸にはただ今夜のナオミの姿が、或る美しい音楽を聴いた後のように、恍惚とした快感となって尾を曳いているだけでした。その音楽は非常に高い、非常に浄らかな、この世の外の聖なる境から響いて来るようなソプラノの唄です。もうそうなると情慾もなく恋愛もありません、………私の心に感じたものは、そう云うものとは凡そ最も縁の遠い漂渺とした陶酔でした。私は幾度も考えて見ましたが、今夜のナオミは、あの汚らわしい淫婦のナオミ、多くの男にヒドイ仇名を附けられている売春婦にも等しいナオミとは、全く両立し難いところの、そして