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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
抜いたんです。そこから黴菌が入ったんです」
「…………」
ヴォージラールのホテルにいたとき、素子が歯痛をおこしてさわいだことを、伸子はおそろしく思い出した。あのとき磯崎から紹介された医者があった。あの医者へ、こんどは恭介自身が行ったのだろうか。その医者の、あんまり日光のよくささない診察室や、応接室にあった古いソファーが伸子の記憶によみがえった。
「ほんとに急だったんです。急に心臓がよわってしまって――磯崎は自分が死ぬなんて、夢にも思っていませんでしたわ」
須美子の、濃いおかっぱの前髪の下に、もう泣きつくして赤くはれた両方の瞼がいたましかった。
伸子は、須美子にみちびかれて、磯崎の横わっている寝台に近づいた。須美子が顔にかけてあるハンカチーフをのけた。その下からあらわれた磯崎恭介の顔は、目をつぶっていて、じっと動かないだけで、全くいつもの恭介の顔だった。贅肉のない彼の皮膚は、日ごろから蒼ざめていた。いくらか張った彼の顎の右のところに、直径一センチぐらいのうす紫色の斑点ができていた。その一つの斑点が磯崎の命を奪った。
磯崎のいのちのないつめたい顔を見つめているうちに、伸子は、自分の体も、さっき須美子の体がそうなったように、前後にゆれ出すように感じた。