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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
このひとの生れ年だから、いやだ。本気になってそう云っていた。
「玉子があったわね、あれで何かこしらえてあげよう」
兎料理は、みんなのいるときの食卓には出たことのないものだった。伸子は、手をつけないままの大皿のふたの上に「どうぞ、牛肉か、犢か、羊肉を」と書いた紙きれをのせて、台所へおいた。
十
早くて一週間、すこしのびれば十日の予定でジェネ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)旅行に出かけた両親が、一週もたたない六日目に、突然パリへ帰って来たことは、それが須美子と約束のある十四日の午後だったために、伸子を苦しいはめにおくこととなった。
磯崎恭介が急に亡くなってから、彼と須美子と子供とが三年の間暮していたデュトの住居は、もう家庭ではなかった。それは難破船だった。難破した船がしずみきらないうちに、須美子はパリでの生活をとりまとめて、日本へ帰る仕度に忙殺されている。須美子が恭介の死去につづいて、葬式、帰国準備と、自分に暇を与えないように暮している気持がわかるだけに、伸子はせめてなか休みの一日を計画して、須美子にデュトでない環境を与えたかった。家庭であって、しかも、そこには須美子のいたみやすい気持を刺戟するような夫婦生活の雰囲気のないところ。