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どうひょう

道標

宮本 百合子

第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页

青空文庫

日本へアンナ・パヴロヴァが来たり、エルマンが来たりしていた。川辺みさ子は、日本のピアニストである自分の芸術で、少くとも自分の弾くベートーヴェンで世界の音楽界を揺すぶって見せる、とインタービューで語った。伸子は、その談話を新聞でよんで覚えず手の中をじっとりさせた。

どこかはらはらしたところのある思いで伸子は川辺みさ子がウィーンへ立つ前の訣別演奏会をききに行った。それはベートーヴェンの作品ばかりのプログラムで上野の講堂にひらかれた。一曲ごとに満場が拍手した。そして熱演によって彼女の櫛が、またふりおとされた。伸子は、座席の上で苦しく悲しく身をちぢめた。せめて、日本で最後の演奏会であるその日だけ、川辺みさ子の櫛はおとされないように、と伸子はどんなに願っていただろう。川辺みさ子のピアノは情熱的で櫛をふりおとしてしまうそうだ、という噂はいつかひろまっていた。その様子を、きょうは現実に見られるだろうかと半ばの期待でステージに視線をこらしている聴衆が、川辺みさ子のゆるやかな束髪のうしろから次第にぬけかけて来た櫛に目をつけ、やがて音楽そのものよりいつその櫛が落ちるだろうかという好奇心に集中されてゆくのが、聴衆にまじっている伸子にまざまざと感じられた。