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さこく

鎖国

和辻 哲郎

日本の悲劇

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 443,306 字 · 875 页

青空文庫

しかしこの忍耐強い、地味なやり方は、スペイン人のフランシスコ会の進出によってかき乱されたのである。

スペイン人がフィリッピン諸島を確保し、太平洋航路を打開したのは、ポルトガル人のゴアやマラッカの確保よりも三四十年ずつ遅れていた。従ってスペイン人の日本への進出も、丁度それ位は遅れている。ルソンの商船が平戸に入り、スペイン人が初めて日本の地を蹈んだのは、信長の死後二年を経た一五八四年である。その後漸次接触が出来、一五九一年には原田孫七郎がルソンへ秀吉の勧降状を持って行った。翌年ドミニコ会の宣教師がその真偽を正すために日本に来て、肥前の名護屋で秀吉に謁し、再び朝貢を促す秀吉の書状を持って帰った。しかるに、その船が帰途難破したために、更にその翌年にフランシスコ会の宣教師ペドロ・バプチスタが使節となり、一人の副使と三人のフランシスコ会士をつれて名護屋に来た。そうして副使が三度目の秀吉の書状を携えて帰ると共に、使節ほか三人は人質として残った。しかし宣教師たちはそれを在留許可と解し、京大坂方面に行くことを希望したのである。秀吉は布教しないという条件で許したが、宣教師たちはかまわずに布教を始めた。