후리가나로 읽는 일본 고전
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ふくおうじでん
福翁自伝
福沢 諭吉
福沢 諭吉의 福翁自伝(ふくおうじでん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,912자 · 402화면
迚も今まで学だのは役に立たない。何でも朋友に相談をして見ようと斯う思うたが、この事も中々易くないと云うのは、その時の蘭学者全体の考は、私を始として皆、数年の間刻苦勉強した蘭学が役に立たないから、丸で之を棄てゝ仕舞て英学に移ろうとすれば、新に元の通りの苦みをもう一度しなければならぬ、誠に情ない、つらい話である、譬えば五年も三年も水練を勉強して漸く泳ぐことが出来るようになった所で、その水練を罷めて今度は木登りを始めようと云うのと同じ事で、以前の勉強が丸で空になると、斯う考えたものだから如何にも決断が六かしい。ソコデ学友の神田孝平に面会して、如何しても英語を遣ろうじゃないかと相談を掛けると、神田の云うに、イヤもう僕も疾うから考えて居て実は少し試みた。試みたが如何にも取付端がない。何処から取付て宜いか実に訳けが分らない。併し年月を経れば何か英書を読むと云う小口が立つに違いないが、今の処では何とも仕方がない。マア君達は元気が宜いから遣て呉れ、大抵方角が付くと僕も屹と遣るから、ダガ今の処では何分自分で遣ろうと思わないと云う。夫れから番町の村田造六(後に大村益次郎)の処へ行て、その通りに勧めた所が、是れは如何しても遣らぬと云う考で、神田とは丸で説が違う。