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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
そして、壁がわるいんだ。壁がよくなかったんだと心に叫んだ。
磯崎たちの住んでいるデュト街のこの家は、パリの場末によくある古い建物の一つで、入口から各階へのぼる階段のところの壁などは、外の明るい真夏でも、色の見わけがつかないほど暗く、しめっぽく、空気がよどんでいた。壁に湿気と生活のしみがしみついていることは、室内も同じことだった。磯崎たちは、がらんとしたその室内に最少限の家具をおいているだけで、意識した無装飾の暮しだった。この寝室も、磯崎の横わっている寝台が一つ、むき出しの床の上で壁ぎわに置かれているだけで、あとにはこの部屋についている古風な衣裳箪笥が立っているきりだった。寝台の頭のところの壁の灰色も、年月を経て何となしぼんやりしたいろんなむらをにじみ出させていた。その室の壁のぼやけたしみと、磯崎の右顎に出たうす紫のぼんやりした斑点。――伸子は、この建物に出入りするようになったはじめから、真暗でしめっぽいこの家の階段の壁やそこいらに、健康によくないものを感じていたのだった。でも、今になってそれを云ったところでどうなろう。
須美子は、そっと、気をつけて、眠っている人がうるさがらないようにという風に、恭介の顔の上にハンカチーフをかけた。