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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
川辺みさ子が糸桜の肩模様の美しい上半身をグランド・ピアノへぶつけるようにしていくつかの急速に連続するコードをうち鳴らしたとき、彼女の髪のうしろからとんだ櫛はステージの上にはずんでおちて、ころがった。瞬間の満足感が聴衆の間を流れた。
演奏はつづけられたが、伸子は、どうせとんでしまうものならステージへ出る前に、なぜ櫛なんかとって出て来ないのかと、川辺みさ子自身の趣味をうたがった。伸子がごく若い娘の作家であることを娘義太夫にあつまる人気になぞらえて、娘義太夫のよさは、見台にとりついてわあーっと泣き伏す前髪から櫛がおちる刹那にある、佐々伸子にこの味が加ったら云々と書かれていたのを読んだことがあった。伸子はそれを忘れることができず、意識してそれに類するどんなその注文にも応じまいとかたく決心していた。伸子のそのこころもちは、川辺みさ子の演奏会と云えばステージにおとされる櫛を期待させているような点に伸子を妥協させないのだった。彼女の天才主義に疑問をもちつづけた伸子は、櫛のことから、芸術家としての川辺みさ子と自分のへだたりを埋めがたいものとして感じた。稚いながらも川辺みさ子に対しては伸子も一人の芸術にたずさわるものとしての主張をもちはじめていた。