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どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
いま公使館の客間は五月の深い新緑に青ずんでしまっている。ここへはじめて川辺みさ子が日本服姿を現したとき、まだ傷けられず、うちのめされていない彼女の気魄はとうとうウィーンに来たという亢奮でどれほどたかまって表現されたか。その情景は伸子にも思い描かれるようだった。
三四年みっちり稽古すれば月光の曲ぐらいは一人前に弾けるようになるだろうと、そのままをウィーンのその教授が云ったのだろうか。川辺みさ子は、日本に一つしかない官立音楽学校教授という肩書のまま遊学した。そして、そのベートーヴェンの演奏で世界をふるわせることができると信じてウィーンへ着いた。川辺みさ子が、そういう評価を与えられたとき、そしてその噂がおどろきに人々に顔を見合わさせながら野火のように彼女の周囲の日本人間にひろまって行くのを見たとき、十四歳で音楽修業をしている少女にとってそれは運指法の問題でありえたとしても川辺みさ子にとっては、生涯の暗転の瞬間であった。三十歳になっている伸子にはっきりそう理解された。自分の仕事というものによって工面した金で外国を女旅している伸子には川辺みさ子の経済問題も深刻にうかがわれた。