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「やまとみんぞく」とはなんぞや
先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選
喜田 貞吉
喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。
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五 法隆寺に関するその後の諸問題
の一篇を発表したのであったが、要するに当時関野君の見られたところと、余輩の考えたところとは、これらの諸建築物においてことごとく各一時代を異にするものであった。すなわち関野君が以て推古朝のものとなさるる法隆寺の諸建築物は、勿論天智天皇九年以後のものであり、法起寺の塔婆は天武天皇十四年の造営にかかり、法輪寺の塔婆また天智天皇九年以後のものとなす事上述の如く、また関野君が所謂白鳳期の遺物となすところの薬師寺東塔は、明らかに天平二年のもの、和銅の建築となさるる唐招提寺の講堂は、おそらく天平十七八年頃のものであるとの事を論究したのであった。そして右の中法起寺及び法輪寺の塔婆の考証については、その後関野君の反駁があり、また法隆寺及び薬師寺の建築物についても、平子君からそれぞれ反駁を受けたのであったが、それらに対して余輩はことごとく一と通りの弁明を了して、今においてなお余輩の諸論は不完全ながらも、その儘に保存せらるるものと信じているのである。
五 法隆寺に関するその後の諸問題
当初余輩が関野・平子両君の非再建論に対して駁論を発表した際にあっては、ただこれを論破せんとする事にのみ急にして、勿論深く研究を重ねる程の余裕もなく、またそれをなすだけの素養もなかったのであった。