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ちからもち

力餅

島崎 藤村

「力餅」研究社、1940(昭和15)年11月

N3 · 进阶 · 新字新假名 · 65,974 字 · 130 页

青空文庫

一二 母の上京

一二 母の上京

三人あったわたしの兄弟は思い思いに郷里を離れるようになり、その中でも一番上の兄は東京へ来て吉村さんが家の近くに宿屋住まいをするようになったものですから、母もわたしたち兄弟のものを見に用事かたがたちょっと上京したことがありました。

女のひとり旅といいますが、めったに郷里を出たことのない母としては、めずらしくもありまた心配な旅でもあったのでしょう。

そのころは今とちがいまして、中央線の鉄道もまだできていませんし、名古屋回りで上京するにしても、木曾の西のはずれから東海道へ出るまでは人力車よりほかの乗り物もなかったからでした。母は峠のお頭に名古屋まで見送られ、それから汽車で上京しました。当時はまだ東京駅もなく、新橋の旧停車場が東海道線の入口でした。そこでわたしは兄とともにあの停車場へ迎えに行きましたが、母は九年もわたしを見ないものですから、自分で自分の目をうたがったくらいであったそうです。それに都会の停車場の夜の混雑に気を取られて、わたしといっしょに二人乗りの人力車に乗ってからも、これが子供の時分に別れたわが子かと、まだ母はそう思ったくらいであったそうです。