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おおおかえちぜん
大岡越前
吉川 英治
「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页
お島の顔が、彼の顔へ重なった。――怒ッたの? と、子どもでもあやすようにいい、
「それとも、わたしが女掏摸とわかって、急に厭になったんですか」
と、かの女も手酌で二、三杯たてつづけに飲んだ。
「なに。掏摸がどうしたッて。……そんな事に、今さら驚くか」
市十郎は、赤螺三平に対したお島の口真似みたいなことを口走って、
「よし、おれも飲むぞ」
と、起き直った。
ふたりは、どろんこになるまで飲んだ。そのあとの行為も本能にまかせた。どっちの心が、どんな心でもよかった。獣と獣だ。精神や潔癖があってはおかしいのだ。やけくその市十郎が、これが人間の真実だなどと考えてもみない。人間を捨てているのだ。いや、人間の肉体だけを保ち、その中の善智や良心めいたものを、自己から放逐してしまいたがっている狂乱だった。――倖せなことに、お島は、この期になって、今さら、肉と心との分離に苦しむような人間ではなかった。なぜならばかの女は、天性にも教養にも、こんなとき邪魔ものになるような良心めいたものは元々持っていなかった。
――どろんこの夜が明けた。
今朝は、まばゆい雪霽れだった。
市十郎は、重い、鈍い、そしてどこかずきずき痛む頭を起した。