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ちじんのあい
痴人の愛
谷崎 潤一郎
「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页
と、彼女はからかい半分によくそんなことを云ったものです。からかわれるとは知っていながら、彼女が唇を向けて来るので私もそれを吸うようにすると、アワヤと云う時その唇は逃げてしまって、はッと二三寸離れた所から私の口へ息を吹っかけ、
「これが友達の接吻よ」
と、そう云って彼女はニヤリと笑います。
この「友達の接吻」と云う風変りな挨拶の仕方、―――女の唇を吸う代りに、息を吸うだけで満足しなければならないところの不思議な接吻、―――これはその後習慣のようになってしまって、別れ際などに、
「じゃ左様なら、又来るわよ」
と、彼女が唇をさし向けると、私はその前へ顔を突き出して、あたかも吸入器に向ったようにポカンと口を開きます。その口の中へ彼女がはッと息を吹き込む、私がそれをすうッと深く、眼を潰って、おいしそうに胸の底に嚥み下します。彼女の息は湿り気を帯びて生温かく、人間の肺から出たとは思えない、甘い花のような薫りがします。―――彼女は私を迷わせるように、そっと唇へ香水を塗っていたのだそうですが、そう云う仕掛けがしてあることを無論その頃は知りませんでした。―――私はこう、彼女のような妖婦になると、内臓までも普通の女と違っているのじゃないか知らん、だから彼女の体内を通って、その口腔に含まれた空気は、こんななまめかしい匂がするのじゃない