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いしかりがわ
石狩川
本庄 陸男
「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页
それはどこかにそっと一縷の望みを残しておきたいという人間の弱点であった。そしてこの高倉利吉は、そこに追いこまれることをのっぴきならぬ自分の立場と思いつめた。東蝦夷からぐるりとまわって古潭の難所を抜け、こちら側までつづいているその海上に、去年の船が未だにさまよいつづけているような錯覚に取り憑かれて――
「ああ、あのとき出直しておけばよかったものを――」
残された妻は深い溜息をついてそう云った。彼女だけの重い苦しみに疲れはてて、見境いも無くなった。今では袖をひいた伜を邪険に突きとばし、彼女の呆けた頭には何か閃めくものがあったらしい。
「おお、さ、あなた阿賀妻さん」彼女は眼をあげて云った。
呼ばれたものは表情のない削げた頬をこちらに向けた。その手ごたえのない様子に彼女は嚇ッとするのだ。うすべりの耳をたたきつけて喚いた。
「夷人の船など傭うて来なさったのはあんたじゃった、――傑物なそうなが、あんたはまだ若い、わかいとも」
阿賀妻の顔にはようやく感情がただようのであった。彼は瞳を同じところにすえて、灰色がかった彼女の汚ない顔を眺めていた。その女の叫ぶ百万言もみんな彼には判っていた。