轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
どうひょう
道標
宮本 百合子
第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号<br> 第二部「展望」筑摩書房、1948(昭和23)年9月号~1949(昭和24)年5月号<br> 第三部「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年10月号~1950(昭和25)年2月号、1950(昭和25)年4月~12月号<br> 資料「展望」筑摩書房、1949(昭和24)年8、9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 846,457 字 · 1672 页
九
小児喘息でつや子は弱いから、自動車のついでのあるところがいいし、泰造の友人の娘たち三人もその女学校を卒業したり在学中だったりしているということで、つや子は小学校からずっとそこの女学校へ通わされていたのだった。
カソリックの尼僧学校だったから、尼僧の校長は母とよばれ、これも尼僧の教師たちは姉妹とよばれ、服装もきびしくて、夏でも黒い長靴下をはいていなければならなかった。あんまり暑い日、つや子はソックスをはいて行って、ひどくマ・スールに怒られ、早びけして来たことなどあった。課外のピアノ教授を申しこんでも、つや子の番はとばされて、あとからたのんだ女の子が教わるようになった。日本人のマ・スールは、ピアノがおうちにあるのなら、よその先生にならったらいいでしょう、と云うのだそうだった。級のなかで、そういう立場におかれているつや子のために、多計代はバザーの特別な援助をすることもなく、クリスマスのおくりものをすることも考えなかった。伸子の女学生時代に多計代がそうであったとおりだった。
「お母さまだって、あなたをまたあすこへかえそうと云っていらっしゃりゃ、しないでしょう」