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さこく
鎖国
和辻 哲郎
日本の悲劇
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 443,306 字 · 875 页
府内のコレジヨにはヤソ会士が十三人いた。内三人は神父で、その中の一人がラテン語を教える。日本語の教師はイルマンのパウロで、もう七十歳を越えた徳の高い人であった。このパウロなどの尽力で文法書のほかに辞典や飜訳書が出来た。カテキスモ(聖教要理)の訳が出来たのもこの時である。
ワリニャーニは一五八一年の三月初めに豊後を出発して京畿地方に行き、帰りは土佐薩摩経由で秋になって豊後へ帰って来た。この間に宗麟は著しくその威望を回復していた。国内の謀叛人田原親貫は、徹底的に片づけられ、竜造寺や秋月との戦争は有利に進展した。その際に有名な彦山霊山寺の焼討をやったのである。これは信長の叡山焼討と同じような意味のものであるが、恐らく信長の影響でもあったであろう。それに伴って国内では身分ある武士たちの改宗が頻りに行われた。一五八一年だけで五千人を超えたといわれる。中でも、宗麟が力を入れ世間をも驚かせたのは、元宗麟夫人たちの師として声望の高かった高僧フインの改宗であった。宗麟はこの人物を見込み、「領内の半分が帰依するより以上に大切なこと」として、その改宗に骨折ったのである。