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「やまとみんぞく」とはなんぞや

先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選

喜田 貞吉

喜田貞吉『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:「日本民族」とは何ぞや、「ケット」と「マット」、奥羽地方のシシ踊りと鹿供養、火葬と大蔵、くぐつ名義考、国栖の名義、国号の由来、時勢と道徳観念、周防石城山神籠石探検記、炭焼長者譚、長吏名称考、憑き物系統に関する民族的研究、手長と足長、道鏡皇胤論について、間人考、人身御供と人柱、法隆寺再建非再建論の回顧、本州における蝦夷の末路、オシラ神に関する二三の臆説、サンカ者名義考。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,063 字 · 389 页

青空文庫

を、また同八年七月の歴史地理には、「法隆寺五重塔に関する幾多の疑問」を、それぞれ発表したが如きみなこれである。近くは本年一月の東北帝大文科会発行文化の誌上において、「其の後の法隆寺に関する諸問題」と題して、主として会津八一君の新研究に対して所見を開陳した事であった。その他教壇における講義、及び折に触れたる講話等によって、新研究を発表した場合もあり、かつては史学会の例会において、当の関野博士と立会講演を行った事もあった。かくて研究は次第に精緻の域に達した事を信じているが、これらはいずれもその後の学界の進歩に促されて起ったもので、これによって前説の不備を補い、またその誤りを正した場合も少くなかった。今その中の主なるものを箇条書にして、余輩の法隆寺問題に関するその後の推移を記録しておきたい。

一、法隆寺の今の堂塔は、必ずしも旧建築物の敷地に復興せられたのではなかろうという事。

法隆寺災に罹るの後、衆人寺地を定むるをえずして、分散して他の太子縁故の諸寺を造ったとの、補闕記及びその他の所伝の文については、余輩は当初これを解して、「衆人居住の地を定むるを得ずして」