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おおおかえちぜん

大岡越前

吉川 英治

「日光」1948(昭和23)年9月~1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 218,436 字 · 437 页

青空文庫

おい、ちょっと、顔をかしてくれんか。晩くなってからすまぬが」

左右太とお次の仲は、雇いの小女まで知っている。かれは家人に気がさすらしいのである。

やっと、家のうちに、返辞があった。戸のあいだから、お次の白い顔。――愛人の顔は、書物のようにすぐ読めるものだ。左右太は、かの女の眉が、いつになく冴えないのがすぐ見えた。

「急に、訊きたいことが出来てな……。いいか、入っても」

「あの……左右太さま。今夜は……」

「たれか、奥に、客でもいるのか」

「いえ。……お客っていうわけでもないんですが」

「都合がわるければ、外で、立ち話でもいい。ちょっと、抜けられないか」

「待ってくださる?」

「うん。どこにいよう」

「いつもの、船小屋は」

「じゃあ、そこにおるぞ」

左右太は、先に、遠くもない河岸ぷちの――堤をうしろにした、ほッ建て小屋のそばへ行っていた。まもなく、お次もあとから来た。堤の蔭だし、前は川なので、落着くのだった。

「なんです。急なお話って」

「だしぬけに、妙なことを訊くが、店が閉まってから、今夜は、たれか客がいただろう」

「え……。夕方、楽翁さまを乗せて来た駕籠の衆に、店はもう閉めたんですが、断れずに、商いをしていましたが」