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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

「もうその花はみんな萎んでしまったじゃないか、好い加減に捨てておしまい」

そう云っても彼女はなかなか承知しないで、

「大丈夫よ、水をやったら又直ぐ生きッ返るから、河合さんの机の上へ置いたらいいわ」

と、別れるときにその花束をいつも私にくれるのでした。

こうして方々捜し廻っても容易にいい家が見つからないで、散々迷い抜いた揚句、結局私たちが借りることになったのは、大森の駅から十二三町行ったところの省線電車の線路に近い、とある一軒の甚だお粗末な洋館でした。所謂「文化住宅」と云う奴、―――まだあの時分はそれがそんなに流行ってはいませんでしたが、近頃の言葉で云えばさしずめそう云ったものだったでしょう。勾配の急な、全体の高さの半分以上もあるかと思われる、赤いスレートで葺いた屋根。マッチの箱のように白い壁で包んだ外側。ところどころに切ってある長方形のガラス窓。そして正面のポーチの前に、庭と云うよりは寧ろちょっとした空地がある。と、先ずそんな風な恰好で、中に住むよりは絵に画いた方が面白そうな見つきでした。尤もそれはその筈なので、もとこの家は何とか云う絵かきが建てて、モデル女を細君にして二人で住んでいたのだそうです。