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ちじんのあい

痴人の愛

谷崎 潤一郎

「大阪朝日新聞」1924(大正13)年3月~5月<br>「女性」1924(大正13)年11月~1925(大正14)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 179,399 字 · 353 页

青空文庫

―――あの時分には今夜のようにして寝たじゃないの」

私はナオミにそう云われると、ああそうだったか、そんな時代もあったんだっけ、あの時分にはお互に純なものだったのにと、ホロリとするような気になりましたが、これは少しも今の私の愛慾を静めてはくれませんでした。却って私は、二人がいかに深い因縁で結び着けられているかを思い、到底彼女と離れられない心持を、痛切に感じるばかりでした。

「あの時分にはお前は無邪気なもんだったがね」

「今だってあたしは至極無邪気よ、有邪気なのは譲治さんだわ」

「何とでも勝手に云うがいいさ、己はお前を何処までも追っ駈け廻す積りだから」

「うふふふ」

「おい!」

私はそう云って、壁をどんと打ちました。

「あら、何をするのよ、此処は野中の一軒家じゃあないことよ。何卒お静かに願います」

「この壁が邪魔だ、この壁を打っ壊してやりたいもんだ」

「まあ騒々しい。今夜はひどく鼠が暴れる」

「そりゃ暴れるとも。この鼠はヒステリーになっているんだ」

「あたしはそんなお爺さんの鼠は嫌いよ」

「馬鹿を云え、己はじじいじゃないぞ、まだやっと三十二だぞ」

「あたしは十九よ、十九から見れば三十二の人はお爺さんよ。