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いしかりがわ

石狩川

本庄 陸男

「石狩川」大観堂、1939(昭和14)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 253,535 字 · 506 页

青空文庫

やっとその下男が気づいて、「お待ち下さい、提灯を――」と駈け戻った。

「いや――」と阿賀妻はあいまいに答えてたたずんでいた。彼の頭では詩が出来かかって、さまざまな文字がはげしく往来していた。その選択に大わらわになっているうちに、先程からの気持がようやく、納まるところに片づくのだ。

「多年積念炉頭雪、一日憂懐風裡糸」とつぶやいて、彼はそれらの文字が持つファンタジーにうっとりした。「ふん――」と、いささか満足した眼をあげた。そのとき彼は、五六間先の往還を行き戻りしている提灯に気がついた。

「そなた、甚助じゃないのか」

「おっ、やっぱり旦那さまでございましたか」と彼は握りしめた手拭いで鼻をこすりあげて、そして背のびをするようにして云った。

「大沼さまア――」

黒塀の下から大沼喜三郎が出て来た。

甚助は提灯をたかくささげて喜ぶのであった。彼らはこの所にうずくまって待っていた。閉ざされた門の奥で交わされた話は、意味のないにぶい響きであった。二人には、何がどうなっているかは明瞭りしていなかった。ただ、何かよくないことが起るかも知れぬと感じていた。それぞれに、その場合はどうしなければならぬかを自分の胸のうちで設計しながら――